夏も秋も冬も春も石の上にも

140文字では呟ききれないことを書き溜めておく場所。吐き溜めであり、自戒の場。

自分を大切にすること

「一日これくらい話さないと精神的に不安定になる」というノルマのようなものがあるそうで、男性は2500語、女性が4000語らしい。

それは文字を書くことでも消化できるらしく、ブログはそれにとても良いらしい。

 

最近考えることは、恋人のこととか。

あまりにもプライベートな話すぎて公のブログに書くには気が引けてしまう。

あとは職場のこと。ほしい服のこと。

 

自分は現在、遠距離恋愛をしていて、それは今後しばらく、少なくとも5年は続くと覚悟している。それがいつまで続くか分からない。

自分は年齢のこともあり、子どもを授かることができるなら出産はあと数年の内だと考えているけれど、遠距離のまま結婚、出産をするならば別居婚という事になる。

そういう話も恋人としているし、母親にも相談をした。

そういうことならば覚悟を決めなくては、と遠距離に慣れようと過ごしているけれど、

やはり遠距離無理〜〜〜〜〜という時期が定期的に訪れる。

何より、遠距離、連絡も以前のように取れない、会うのは月に一回、だと好きな気持ちを維持することがどうしても難しい。相手の顔も忘れそうになる。

その上、今後結婚したら海の近くに住んで子どもにもサーフィンをさせたいと言う言葉が、自分の心をとてもざわつかせる。

私は、ほぼ無趣味だった相手をサーファーに変えて、遠距離にさせたサーフィンが憎くて仕方がないし、今後一生付き纏うであろうサーフィンのことをとても好きになれそうにない。

そもそも私は海洋恐怖症で、日光が苦手だ。

私は近くに映画館があって欲しいし、願わくば劇場に行きやすい場所がいい。

どこからが自分のわがままで、どこからが相手のわがままなのか、二人で話していたら分からなくて、結局自分が自己嫌悪することになる。

 

今はクリスマス近くに日帰りでイルミネーションを見に行く予定になっているが、

それも正直私はずっと楽しい雰囲気でいられる自信がない。

いろいろな不安や不満が溜まりすぎている。

そしてそれを相手に伝えたところで、相手はきっとどうにもできない。

それも分かっているから、余計に言いづらい。

 

もっと大事にして欲しい。

向こうとしては「大事に思ってるよ」「大事にしてるよ」と言うつもりかもしれないが、私にはそう感じられていないのだ。

連絡しても24時間以上経たないと返事がこない。

せっかちかもしれないが、私は恋人とおしゃべりがしたい。

一日以上経ってから帰ってくる返事は、お喋りにはならない。

電話は、何度かかけたことがあるがその場で出ないことが多く、自分のストレスが余計に溜まるから電話はかけないようになった。

自分は遠距離に向いてないのかもしれない。

 

今すぐに、一緒に住むことを考えようと言ってくれたら、気持ちは全然変わってくる。

とても幸せだと思う。

でもそうはならない。

だから我慢しなくちゃいけない。

それが辛い。いつまで、我慢が続くのか。

しんどいし、焦る。

それならいっそ、いない方が楽になれる、と思ってしまう。

 

決して悪い人ではないから一緒にいるのだ。

怒らないし、私の話を聞いてくれる。

良くも悪くもマイペースで、どんな人にも優しい。

それじゃあ、今の私には優しいのだろうか。

 

一人で考えて、ずっとこんな思考がぐるぐるし続ける。

こんなことも誰かに相談したいけど、相談できる相手が身近にいない。

話を聞いて欲しい。誰かに。

自分のために時間をつかう

近頃の自分に足りてなかったものはこれだったのか、と思い出した日。

 

コロナ前以来かなってくらい久しぶりに、一日遊びほうけてきた。

ミラコスタでオチェーアノのブッフェを予約。

オチェのブッフェは前々職を退職した時以来でほぼ4年ぶり。そして初めてのひとりブッフェ。

想像以上に幸せな体験だった。

自分のために時間とお金をつかって美味しいものを食べにきている…という感じがすごくて、目に涙浮かべながらブッフェをほおばる客になっていた。

時間も120分の制限たっぷり使わせてもらって、のんびりたらふく食べた。

キャストの方々も、この状況下でいろいろな不安のなか徹底した感染対策を行ってくださっていることがよく分かって、感謝の気持ちがあふれる。

 

その後、どうしても観たかった「In The Heights」を予約。

シネマイクスピアリはちょうど良い時間がなかったので、日比谷に。

それまで時間をつぶそうと、ボンヴォヤージュとイクスピアリをぶらり散歩。

少し早めに移動して、スタバで休憩する。

 

「In The Heights」は結論から述べると素晴らしかった。

群衆劇が本当に好きだ。

開始3分でラテンとラップのビートに心をもっていかれ、ここがピークだったら後2時間半どうしようかと心配になった。

そんな心配はよそに最高に熱く暑くクールなサウンドばかり。

とにかくみんな歌が上手い。そして圧巻のダンスシーン。

冒頭の「In The Heights」、「96,000」、「Carnaval del Barrio」が最高。

しかし、しっかりとストーリー上で泣かされるシーンもあり後半は何度かすすり泣くくらい泣いた。

結論、リン=マニュエル・ミランダは天才だということがよく分かった。

なんとなく、自分の先入観で「RENT」に近いものを想像していて冒頭のベニーなんかは勝手に「RENT」に重ねてしまった部分もあったが、ストーリーが進むにつれ全く違うものだと感じた。

私はミュージカル映画で一番好きなものはと聞かれれば、これまで「RENT」と答えていたが、これはその次に来るかもしれない。

 

帰り道にレビューを見て気づいたが、私が唯一知っていた「Everything I Know」が確かに一曲丸ごとカットされていたことは少し悲しかった。

養成所時代に友人が歌っているのを聞いて、かわいくてあたたかい曲だったから残念だった。

 

興奮のままに書いているため、後日また思い出したら感想を書きたい。

 

そんな感じで、1日かけて自分にたっぷり時間とお金をつかった。

自分の心がアフリカの砂漠のようにカピカピに乾燥していたことに気づいた。

昨日、優しくされたいと言っていたが誰よりも優しくなかったのは私自身なのかもしれない。

自分を大切にするって、大事だ。

 

In The Heightsで「些細なことが尊厳を保つ」というフレーズがあって、とても心に残った。

 

 

誰かのためでなく、自分のために時間とお金をかけてあげよう。

 

予告で「Dear Evan Hansen」とスピルバーグによる「ウエストサイド物語」が年内に公開するとのことだったので、今年はミュージカル映画が豊作そうで嬉しい。

優しくされたい

誰かに優しくされると泣いてしまいそうだ、という話。

 

夕飯の買い物に出かけて、本日初めての外出だったのでタピオカが飲みたくなり地元のタピオカ屋に寄ったら「タピオカ今から10分かかります」と言われ、危うく感情的になってしまうところだった。

 

冷静に断って、気持ちを切り替えてからドトールでテイクアウトでもしようと思い、季節限定ドリンクを頼んだら店員の女の子の笑顔が優しかった。

すっぴん眼鏡で髪の毛もボサボサなのを隠すために帽子を深くかぶった、こんな客でも。

 

心の栄養が足りてない時は、見知らぬ誰かの些細な言動でも深く心に残ることがある。

そんなことを思い出した。

 

 

明日はおいしいものでも食べに行こう。

どのように生きたらストレスがより少ない生活ができるのか。

シェアハウスを離れて実家に戻って、転職をして安い給料ではあるが安定した収入を得られるようになった。

一人暮らしをしようか。でも帰った時に誰もいないことが寂しい。

以前のシェアハウスの同居人と、また一緒に住もうかという、不思議な提案も出た。

このご時世。家に篭ることが必要とされている時代。

会いたい人と自由に会うことが出来ない時代。

一人より、誰かがいる方が心が安らぐのかもしれない。

 

人と比べないことが幸せの秘訣だと言われるけれど、

実際に人と比べないで生活することはとても難しい。

結婚をしていないから、恋人がいないから、実家を出ていないから、

年齢の割に給与が少ないから。

様々な不安の種は、無意識のうちに他人と比べていることから生まれる。

とはいえ、今自分は人と比べているのだと気づくことは、ひとつの糸口になる。

思考の癖というものがあるからすぐに変えることはできなくても、 

自分はこのように考えているということを認識するだけで、客観的になれる気がする。

 

時間をかけて考えたい。

もう少し、生活を馴染ませていきながら。

 

とりあえずゴールデンウイークはどこにもいけないのだから、

いらないものを捨てることや、採用試験の受験申し込みをしたりしながら

ゆっくりと体を休めたりしよう。

 

新しいパーティードレスを試着しながら考えた。

着るものを私は自己表現の一部としている。

だから自分が納得のいくものを着ていないとすこぶる落ち着かない。

私服でも仕事着でも、よそ行きの服でも。

ただ、自分の好みをひとつ選んだらそのアレンジやスタイリングは知識が足りないので、店員さんの力を借りる。

散々一緒に悩んだ結果自分の納得のいくコーディネートが生まれるなら、店員さんと話すことも全く苦ではない。

ただ、自分一人でコーディネイトを考えることはまだ出来なくて、きっと雑誌などで知識を持った増やすことが必要で、それができるようになったら服を使った自己表現により近づけるのだと思う。


自分の出費の中で洋服は外せない。

次に雑誌や映画、DVDの趣味活動。

その次にヘアスタイル。

それから化粧品や柔軟剤などの消耗品。

その後に食事、食費。

ベッドや家具、その他雑貨などはどうしても一番後回しになる。


身嗜みを整えて、かつ美味しいものを食べて生活し続けるにはそれだけでかなりの安定した収入が必要だということ。

旅行なんて夢のまた夢。

今のうちは自分一人だから良いけれど、恋人が出来たら一緒に出かけたい場所も増えるからその分出費も増える。


私が自分らしさを維持するには、ある程度の収入が必要だということ。

これは一度働いてみて分かったこと。

この先どんな仕事を選ぶにしても、ある程度の優先順位は決まってくる。

やりたいけど中途半端なことが多すぎる。
今までどれだけのことに興味を持ち好きだと言い続けながら、どれだけのものがそれ相応に形として成ったのか。
殆ど、ない。苦しい、辛いと言っては辞めてきた。
何も出来ず、何も武器を持たずになにが表現か。
何かの技術を得るには普通の人が取り組む努力じゃ到底足りないことを、私は舞台で知ったんじゃなかったのか。
何かをするには資金がかかる。
生きるのにもお金がかかる。
そのためのお金を、大人は働いて稼いでる。みんな。
旅行に行ったり、飲んだり、遊んだり、
そのためだけに稼ぐわけじゃない。
自分のために使えるなら恵まれている。家族、両親、誰かを養うために働く人。
働く理由は、人それぞれだ。
身だしなみを整えて内面を磨くこと、それも自分磨きだけれど、
自分の畑を耕して、自分の芽を育てること、それもまた自分磨きと言えるんじゃないだろうか。
努力の期間があり、色々な分野に手を伸ばし、
一定の時間と汗とお金を費やしてみて、
そこから何か1つだけでも、自分に合うものが残るかもしれない。
そうしたらまた、思いもよらぬ生涯の仕事が見つかるかもしれない。
私が自分に自信がないのは、努力をしていないから。
努力もせずに「苦手です」「それは無理です」と逃げ回っているから。
努力してみろ。
とりあえず3年の間。
汗水たらして働きながら、やりたいことも全部やってみろ。
仕事ではなかったものを、初めは趣味だったものを模索し続けて仕事に変えた人たちもいる。
スタバを辞めたのは何のため?
新しい仕事を始めたかった気持ちもあるし、
それ以上に、変わりたかった。
飲食業の仕事、スターバックスの仕事しかしたことのない自分。
そこでぬくぬくとやりがいを得ながら続けることももちろん出来たけれど、そこにいたら自分はその方向以外になれない気がした。
社会人公演のとき、「働きながら踊る」という選択肢があることを身に沁みて実感した。
本当に好きなら、本当にやりたいなら、時間は作れる。
ただ、そのための職場環境や給与は選ぶ必要がある。
歌、芝居、ミュージカル、それはもう経験し、取捨選択をした。
残念ながらまだ、私の興味は尽きてない。
深く深く掘り下げたいものが、片手では足りないほどある。
石の上にも三年なんて言葉が、この国にはある。
今から3年経った時、ちょうど私は30歳になる。
3年の間、本気で研究して、勉強して、努力して、それでも向いてなかったらその時にやめるか続けるか決めればいい。
趣味として続けることは誰にも迷惑をかけない。
でもやらずに死ぬ前に後悔するのは嫌だ。
今から3年間。努力できたら、それが実になってもならなくても、多分今より少し自分のことが好きになれる。
良いタイミングなんだと思う。
本当に。自分で選択してきたつもりだけれど、
神様がこのタイミングで与えてくれた、自分を見つめ直す時間なのかもしれない。

私は、そのために働こう。
そうすれば、今私は何をするべきか、
自ずと答えは見えてくる。