夏も秋も冬も春も石の上にも

140文字では呟ききれないことを書き溜めておく場所。吐き溜めであり、自戒の場。

やりたいけど中途半端なことが多すぎる。
今までどれだけのことに興味を持ち好きだと言い続けながら、どれだけのものがそれ相応に形として成ったのか。
殆ど、ない。苦しい、辛いと言っては辞めてきた。
何も出来ず、何も武器を持たずになにが表現か。
何かの技術を得るには普通の人が取り組む努力じゃ到底足りないことを、私は舞台で知ったんじゃなかったのか。
何かをするには資金がかかる。
生きるのにもお金がかかる。
そのためのお金を、大人は働いて稼いでる。みんな。
旅行に行ったり、飲んだり、遊んだり、
そのためだけに稼ぐわけじゃない。
自分のために使えるなら恵まれている。家族、両親、誰かを養うために働く人。
働く理由は、人それぞれだ。
身だしなみを整えて内面を磨くこと、それも自分磨きだけれど、
自分の畑を耕して、自分の芽を育てること、それもまた自分磨きと言えるんじゃないだろうか。
努力の期間があり、色々な分野に手を伸ばし、
一定の時間と汗とお金を費やしてみて、
そこから何か1つだけでも、自分に合うものが残るかもしれない。
そうしたらまた、思いもよらぬ生涯の仕事が見つかるかもしれない。
私が自分に自信がないのは、努力をしていないから。
努力もせずに「苦手です」「それは無理です」と逃げ回っているから。
努力してみろ。
とりあえず3年の間。
汗水たらして働きながら、やりたいことも全部やってみろ。
仕事ではなかったものを、初めは趣味だったものを模索し続けて仕事に変えた人たちもいる。
スタバを辞めたのは何のため?
新しい仕事を始めたかった気持ちもあるし、
それ以上に、変わりたかった。
飲食業の仕事、スターバックスの仕事しかしたことのない自分。
そこでぬくぬくとやりがいを得ながら続けることももちろん出来たけれど、そこにいたら自分はその方向以外になれない気がした。
社会人公演のとき、「働きながら踊る」という選択肢があることを身に沁みて実感した。
本当に好きなら、本当にやりたいなら、時間は作れる。
ただ、そのための職場環境や給与は選ぶ必要がある。
歌、芝居、ミュージカル、それはもう経験し、取捨選択をした。
残念ながらまだ、私の興味は尽きてない。
深く深く掘り下げたいものが、片手では足りないほどある。
石の上にも三年なんて言葉が、この国にはある。
今から3年経った時、ちょうど私は30歳になる。
3年の間、本気で研究して、勉強して、努力して、それでも向いてなかったらその時にやめるか続けるか決めればいい。
趣味として続けることは誰にも迷惑をかけない。
でもやらずに死ぬ前に後悔するのは嫌だ。
今から3年間。努力できたら、それが実になってもならなくても、多分今より少し自分のことが好きになれる。
良いタイミングなんだと思う。
本当に。自分で選択してきたつもりだけれど、
神様がこのタイミングで与えてくれた、自分を見つめ直す時間なのかもしれない。

私は、そのために働こう。
そうすれば、今私は何をするべきか、
自ずと答えは見えてくる。